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札幌高等裁判所 昭和36年(う)2号 判決

被告人 佐藤二郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

論旨第一点(事実誤認)について。

所論鑑定人中川秀三及び同竹山恒寿作成の各鑑定書に当審証人中川秀三の供述を併せて検討してみると、両鑑定人の採用する病的酩酊の概念には幾分相違のあることが認められる。すなわち、両者とも原判示グルーレの定義を承認しながらも、その挙げる諸条件に対する重要性のおき方が異なつており、中川鑑定人は、右条件(2)の「激昂や憤怒から容易に暴力行為に発散される」ことと(3)の「行為に動機がない」ということとは、これを厳格に解すれば一つの矛盾であるとし、行為に全然動機のないことは必ずしも必要でない、ことに同鑑定人のいう酩酊性もうろう状態の場合には、一見その場面に適合する応対や行動をとることがある、また(4)の「完全な健忘」といつても、そのうち、特に周辺的な事実について断片的な不完全な記憶が残つていることを妨げないと考えるのに対し、竹山鑑定人は事態了解不能、動機がないという点を重要視し、単に刺激性異常気分があつて暴発するというばかりでなく、幻覚や妄想の存在するもの、無目的・無差別の躁暴状を発したもの、激越性苦悶を呈して自傷・自殺行為に至るもの、酩酊間にケイレン発作を発したものなど、真に精神病概念に該当し得るものだけを病的酩酊とすると述べている。かように学問上の立場に相違のあることを前提とすれば、原判決が中川鑑定書を評価するに際し、もつぱらグルーレの定義を厳格に適用し、その定義にかかる病的酩酊の条件を欠くという理由で右鑑定を採用し得ないと判断したことは必ずしも妥当でない。そして本件において窮極的に決定しなければならない問題は心神喪失かどうかという法的判断であつて、病的酩酊かどうかという医学的判断ではないから、前記学問上の立場のどちらを可とするかは、必ずしも本件で決定しなければならない問題ではないのである。

また、原判決は中川鑑定書を排斥するにあたり、所論のように、中川鑑定人が病的酩酊ことに酩酊性もうろう状態と診断した八項目の理由を個別的に検討し、その多くが病的酩酊の条件にあたらない旨又は病的酩酊をひき起こす必然性がない旨判示しているが、右八項目は等価的なものではなく、そのうちには病的酩酊を起こしやすい素地として挙げられているものもあると解され、中川鑑定はその医学的見地からこれらの徴候を総合的に判断した結果と認められるから、前記のような原判決の判断の仕方は必ずしも妥当とはいえない。たとえば「被告人は生来短腹で爆発性性向があつた」ということは、その性向がたとい異常性格ないし精神病質人格というべき程度のものでなかつたとしても、病的酩酊をひき起こす素地になり得ないとはいえない。

しかしながら、中川鑑定人が当審で最も重要な要素と述べた右八項目のうちの(2)と(8)について検討してみるに、その診断の基礎となつた事実判断について、当裁判所においても首肯し難い点がある。すなわち、まず、被告人は今までしばしば病的酩酊状態を呈したことがあるという点は、十分な証拠がないようである。原判決も引用しているように、竹山鑑定書は「彼は酔癖がわるいという定評を得てはいたが、その酔いかたを検討してみるに、なるほど粗暴な行為に出ることはあつたが、いつも理由があつて暴発したのであり、しかも行為の経過を大体おぼえているのが常だつた。こうした酩酊を病的なものと考えることはできない。」と述べており、中川鑑定人のようにやや広い病的酩酊の概念をとるとしても、なおこの認定の方が妥当であると思われる。環境その他の諸条件は異なるが、中川鑑定人の行なつた飲酒試験の際にも、焼酎を使用しながら病的酩酊状態を呈しなかつたと認められることも、その一つの証左となる。次に、被告人は犯行直前もうろう状態となつて犯行を犯したものと認められ、もうろう状態はその後三時間程続き、その間完全に近い記憶の欠損があるという最も重要な点に関しても、後に述べるように、その判断の根拠となる被告人の記憶の欠損の程度について、当裁判所の判断は中川鑑定人と見解を異にし、したがつて被告人が本件犯行当時もうろう状態にあつたとの判断も直ちに採用し難い。

かように、中川鑑定書には、その鑑定の基礎となつた事実判断において当裁判所の認定と異なる点があるので、これをそのまま採用することはできない。それ故、この鑑定書を排斥し、竹山鑑定書を採用した原判決の措置は、所論のように証拠の取捨選択において不合理のあるものとはいえない。

そして、およそ飲酒による酩酊の結果犯人が心神喪失の状態にあつたというためには、完全な意識障害と、道徳的判断力及び抑制力の全く欠如していることを要すると解すべきところ、右竹山鑑定書及びその他の原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は酩酊しやすい身体的状態のものにおいて、本件被害者坂本一見に対する強い不快感情をもつて約六合の冷酒を飲み、相当強度に酩酊している間に、さらに被害者の言動に刺激され、激情を爆発させて本件犯行に及んだものであつて、当時意識混濁が存し、刺激性気分となり弁別力、抑制力も著しく減弱していたことが認められ、その犯行はこのような酩酊の結果によるもので、被告人の平常の人格からは予想されないものと考えられるが、このことは酩酊中の犯罪に往々見受けられることであつて、これをもつて直ちに心神喪失の状態ということはできない。かえつて、被告人は、理不尽な被害者の言動に刺激され、それが動機となつて殺意を抱き本件犯行に及んだもので、そこには十分了解し得る動機と目的があり、犯行後も、斎藤兵吾方に立ち寄つた後駐在所に自首している位であつて、自己の行為の意味を理解した目的のある行動をしていることが認められるから、その意識混濁の程度は完全なものとは認められず、道徳的判断力、抑制力も全く欠けていたものとは認められない。したがつて、原判決が弁護人の心神喪失の主張を排斥し、心神耗弱と認定したのは結局正当であつて、所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。

論旨第二点(理由のくいちがい)について。

中川鑑定書に「被告人はもうろう状態となつて犯行を犯したものと思われる。もうろう状態はその後三時間程続き、その間完全に近い記憶の欠損がある。」と記載してあるのに対し、原判決が「当公廷で調べた各証拠からすると、右認定(被告人には犯行から三時間程完全な記憶の欠損があつたとの認定)は採用できない。犯行直後被告人は比較的詳しく実行行為およびその後のことを供述しているし、その供述の内容は有意味のことであつて文脈がある。」と判示していることは、所論のとおりである。

この中川鑑定書の診断が中川鑑定人の専門的知識経験にもとづき、詳細な問診のほか酩酊試験等の結果並びに本件訴訟記録に現われた被告人その他の者の供述をも参考としてなされたものであることは明らかである。しかし、証拠による事実認定に任ずる原裁判所が右判断に従わなければならないという法則はない。ことに記憶の有無の問題は本人の供述に頼らざるを得ないので、本人の誠実性が問題となり、その判断に困難のあることは中川鑑定書も認めているところであつて、原裁判所の判断が鑑定人のそれと異なるからといつて、直ちに不合理だとはいえない。

原判決挙示の被告人の自首調書、司法警察員に対する供述調書二通及び検察官に対する供述調書二通によれば、被告人が犯行当日である昭和三三年一二月二五日及び翌二六日に、被害者の頭をマサカリで殴つたこと及びその後斎藤方に行つてから警察に自首したことを自供したこと、並びに同三四年一月七日の検察官の第二回取調に際しても右犯行の記憶を前提として「むしように腹が立つてカツとなつてやつたという以外にはその時の気持の言い表わしようがない」と述べていることが認められる。これらの供述が被告人の卒直に述べたものであつて、取調官が予断をもつておしつけたというようなものでないことは、二六日の司法警察員の取調に立ち会つた証人佐藤武末の原審第八回公判調書中の供述記載からもうかがわれるところである。また尋問者が精神医学の専門家でないからといつて、これを記憶の事実の判断の資料とすることができないということはない。これらは被告人が右取調当時右犯行及び自首の事実を追想し得たことを物語るものであつて、当裁判所もこの点を重要視する。なお、被告人は犯行直後「今嫁をやつた」と言つて自首し(第三回公判調書中証人鈴木孝男の供述記載)、その後自宅で弟武末に対し「とんでもないことをしてしまつた。後をよろしく頼む」と言つた(前記証人佐藤武末の供述記載)ことなどが認められるから、酩酊状態の継続中と見られる右時期において犯行の記憶があつたことは明らかである。以上によれば、鑑定時及び公判時において被告人が犯行を追想し得なかつたことが真実であるとしても、少なくとも犯行の翌日当時においては犯行直前から三時間の記憶欠損ということは当らない。もつとも前記自供はいずれも簡単なものであつて、多少変動があり、被告人が細かい点まで正確に記憶していたとは認められず、中川鑑定書も「完全な記憶の欠損」とは述べておらず「完全に近い記憶の欠損」と述べているのであるから、断片的な記憶のあることはその診断と矛盾しないという趣旨にも解されるが、犯行後のことはともかく、犯行自体の大綱の記憶が存する以上、犯行当時被告人が同鑑定書にいうようなもうろう状態にあつたことを推定させるほどの記憶の欠損があつたものとは認められない。したがつて原判決の前記認定は経験則に反するもの又は不合理なものではなく、原判決に所論のような違法はない。論旨は理由がない。

論旨第三点(量刑不当)について。

本件記録によれば、本件犯行は、被害者が結婚の当夜から言いがかりとしか思われないような理由で同衾を拒絶して別れ話しを持ち出し、仲人らの説得にも応ぜず、診断書を持参するという奇怪な行動の末、犯行当夜理不尽な手切金の要求をもち出すに及んで、被告人は腹に据えかね、独り飲酒するうち、さらに被害者の刺激的な言動に接し、激昂のあまり、酩酊による心神耗弱の状態において犯したものであることが認められ、その情状に酌むべき点はあるが、人の生命を奪つた責任は重大であり、その犯行の手段もまことに残酷である。所論を考慮に入れても、原判決の懲役四年(未決勾留日数一八〇日算入)の量刑が不当に重いとは認められない。この論旨も理由がない。

(裁判官 矢部孝 中村義正 小野慶二)

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